歴史力を磨く 第34回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

■ 靖国の英霊と御親拝 ■

 

昨年は明治150年という節目の年であった。引き続いて今年は、明治2(1869)年6月29日に東京招魂社として創建された靖国神社の150周年の記念年に当たる。

靖国神社は、明治天皇の聖旨を奉じて創建されたものであり、これまで天皇崩御と大東亜戦争後の占領期を除いて、例大祭、臨時大祭などには代々欠かさず勅使が差遣されてきた。明治天皇ご自身も、明治7年1月の例大祭行幸以来、7回の御親拝をされている。ご病身の故に治世半ばで公務から身を引かれた大正天皇も2回の御親拝の他、御名代も2回差遣されている。昭和天皇も、満州事変(昭和6~7年)前からの戦没者を招魂・合祀する昭和4(1929)年の臨時大祭で初めて行幸されて以降、終戦前だけでも延べ20回御親拝されている。

現在靖国神社に祀られている御祭神は、246万6千余柱とされる。そこに祀られている英霊は、国家の為に命を捧げた後は、天皇陛下も御親拝される靖国の社に祀られるということを信じて、捨命の倫理に身を徹した。先帝陛下は、その兵士達と国家の間に交わされた無言の約束、言わば黙契の重さを強く意識しておられた。その叡慮は「帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者 及びその遺族に思いを致せば 五内(ごだい)為に裂く」という荘重な「終戦の詔書」の言葉にも表れている。

占領開始後には政府として戦没者を靖国神社に合祀することが困難となることから、終戦直後の昭和21年の11月20日、満州事変以降の未合祀者を一度に招魂する臨時大招魂祭が挙行された。その時昭和天皇は元帥服で御親拝され、先の兵士達との黙契の務めを果たされた。その後御親拝は途絶えるが、昭和27年4月28日にサンフランシスコ平和条約で主権が回復すると、同年10月16日には香淳皇后と共に御親拝され、それを含めて戦後も8回の御親拝を為されている。

昭和天皇の最後の御親拝は昭和50年11月21日の秋季例大祭の時であるが、この3カ月前、時の三木武夫首相がそれまでの慣例を破り、終戦の日にわざわざ「私人」と公言して参拝した。これがその後の天皇御親拝についても「公的か私的か」が問われるという禍根となった。更に昭和60年の終戦の日に、中曾根康弘首相は礼法・作法を無視した「公式参拝」を強行したが、翌61年には中国の反発から参拝を取り止めてしまった。その時に昭和天皇は次の御製を詠まれている。

この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひはふかし

三木首相の「私人」発言以来、10年余も御親拝になられていない中で、靖国神社を巡る情勢をいかに御軫念(しんねん)になっていたかを、この御製は如実に示している。

今上陛下は8歳だった昭和17年1月31日に皇太子として初めて靖国神社に行啓されて以来、皇太子時代に延べ5回御参拝になっているが、即位後の平成になっての御親拝は未だない。このまま本年4月30日に御譲位されると、明治以来の代々の天皇が守られてきた国家の英霊への御親拝が、平成の御世に途切れることになる。

英霊を慰霊しない国は滅びゆく。御親拝が心安くなされるようにすることこそが、今を生きる我々の務めである。

 

髙崎 康裕