日本の教育を語る際に、「愛国心」というものをどう教えるのかという問題がある。確かに愛国心というものは、押し付けられて身につくというものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより自然に養われていくものであろう。

『ロスノフスキ家の娘』というジェフリー・アーチャーの小説がある。アメリカのホテル王になったポーランド人アベルの娘、フロレンティナの物語である。彼女は学校へ行くと、「ダム・ポーラック」とポーランド人を蔑む言葉で馬鹿にされる。そこで父アベルはイギリスの有名な女学校の女性校長を娘の家庭教師として招くが、その教師はこう言う。「私はすべての学科を教えられます。しかし、ポーランドの歴史だけは教えられません。歴史というものは誇りを持って教えなければなりません。私はイギリス人ですからポーランドの歴史に誇りを持って教えることができるのはお父さん、あなただけです」と。

こう言われたアベルは毎朝30分の時間を割いて娘にポーランドの歴史を教え始める。強大なロシアやドイツに挟まれたポーランドが如何に苦難の道を歩んだか、如何に民族としての誇りを保ち有為の人材を輩出してきたかということを話した。娘はそれを聞きながら、自分がポーランド系であることに誇りを持つようになる。あるとき学校で歴史の試験があり、一番良い成績を取ったフロレンティナに同級生は、「ダム・ポーラックがいい成績を取った」と囃し立てるが、彼女は「ポーランドには長い歴史がある。あなたがたアメリカはたった200年の歴史しかない。長い歴史を持った私が、歴史の試験でいい成績を取るのは当然だ」と言うのである。その後彼女は祖国の誇りを胸に努力を重ね、アメリカ最初の女性大統領になるのだが、これは実に教訓的な小説だと思える。

国としてのポーランドが持つ世界での影響力は、アメリカやドイツと比較すれば小さいかもしれないが、人としての矜持、愛国心ということから見れば、どの国、どの民族も同じである。日本でも明治から敗戦までの教育では、こうした民族、同胞に対する誇りを伝え培う視点が大事にされていた。だが、敗戦後の占領政策では、そのような教育は完膚なきまでに否定され、「愛国心」という言葉自体も避けられ続けてきた。しかし、自分が生まれ育った故郷や地域、そこに伝わる伝統や文化などを愛おしく思う気持ちは、人として当然の心根である。自分たちが教え伝えられたものをしっかりと伝え、そこから育まれた心を目醒めさせることができれば、「日本人として生きる喜びや誇り」も自ずから感じられるようになると思うのである。
教育の未来はそこにある。

 

髙崎 康裕