歴史力を磨く 第2回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕
■日本の徳育と教育勅語■
人間の暮らしの中で、何が大切な価値観なのであろうか。皆が安心して幸せに暮らせる社会を創る上で必要なものは何なのであろうか。それは何も特別なことではなく、当たり前のこと、即ち「常識」や「良識」ではないだろうか。
ただ常識というものは、時代と共に変わる筈だと指摘されるかもしれない。確かに時代と共に変わる部分もあろうが、ここで言う常識や良識とは、長い日本の歴史の中で育まれ、選択され、「是」として確立されてきた価値観であって、一時的な、もしくは一過性の言動ではない。そしてそのような価値観が無ければ、社会の運営は決して上手くはいかない。
戦前は、家族関係も含め、そうした心の部分を教える教訓が、「教育勅語」の中にあった。「教育勅語」は1890(明治23)年、それまでの日本の教育方針とされていた価値観を明治天皇が明文化したものだが、そこに書かれているのは親兄弟、夫婦、友人という人間関係の基本から、人を愛すること、国の法律を守ることまでを「十二の徳目」として列挙した、今読んでも全うな内容である。同時に現代の日本人が忘れてしまっているこれらの心得は、かつての日本人にとっては当然の価値観だった。
またそこで示す教えとは、「古今ニ通シテ謬(あやま)ラス」(昔から今に至るいつの時代に実践しても間違いのない)、かつ「中外ニ施シテ悖(もと)ラス」(わが国だけでなく外国で実践しても道理に反しない)ものでなければならないとされていた。
即ち、日本国民に学ばせ身に付けさせる価値観は、いつの時代にも、世界のどこでも通じる人類普遍の価値観であることとし、日本はそれを実践していくことの出来る国であり続けようとしたわけである。まさにそこでは、日本の伝統に基づくという時間の縦軸と、日本を越えて人類普遍の価値観を尊重する、世界の中の日本人という横軸もしっかりと意識されていた。
教育勅語はまた、天皇に対する忠誠心を謳ったものであるかのように言われているが、それは明らかな誤解である。この勅語の最後には、天皇自らが「あなたたち臣民と一緒にこの教えをよく守り、皆でその徳を一つにすることを願い望む」と書いている。国民と一緒に大切な教えを守って、徳を高めていこうという決意が示されているのだ。
先の大戦の敗戦により、日本の歴史や文化は完膚なきまでに否定され、「教育勅語」も教育の場から葬り去られた。しかし教育改革の必要性が声高に叫ばれる今こそ、そこに書かれた理念、日本の伝統的な教育への想いを、冷静に見直してみるべきではないかと思えるのである。